「カーナビ症候群」

昔から,「近頃…」などと言うと「年をとったね」と冷やかされるのが‘おち’であったが,最近「近頃…」と思えることが多々あって,気持ちだけは若いつもりでいた私もついにそのような方々の仲間入りをしたかなどと思いをめぐらすこともあるのだが,果たしてそれだけかという疑念が湧いてくる。

最近私は「携帯」を購入した。しかし,その多機能ぶりに驚かされつつもほとんど使いこなすことができずに,公衆電話の代わりとして発信に使うのがせいぜいである。周りを見渡すと学生諸君の多くは「携帯」を所有しているらしく,いろいろな機能を駆使しているようにも見える。私は生来の機械好きであるが,そのような私がなぜ「携帯」を使いこなすことを難しいと思ってしまうかについての言い訳をしてみよう。そもそも利用可能な機能の多くは私にとって不要なので,そのことによる動機不足が要因のひとつであることは確かである。しかしそれ以上に,マニュアルの読み難さが私にとって大きな障害になっているのである。それは,極端に言うと,マニュアル全体が「…の場合は…ボタンを押せ」といった「問答無用!」の形の操作手順の羅列になっているからである。どのような思想でキーやメニューが構成されているかなど,原理や理屈に関する記述がほとんど見当たらないので,これでは,マニュアル片手は論外として,キー操作を丸暗記でもしない限り目的とする多くの機能を駆使することはほとんど困難に思えてしまう。結果として,暗記が苦手な私には使いこなす意欲が失せてしまうのである。テレビのCMなどから想像すると,メーカーが想定している「携帯」の主なターゲットは10代後半から20代にかけての若者達らしく,どうやらそれらのマニュアルは彼らを対象に書かれているのではと思えてくる。つまり,若い世代は記憶能力に優れているのでキーの操作手順を覚えることにそれほど抵抗がないとメーカー側が判断しているのではなかろうか。

近頃,巷には「ハウツーもの」が溢れている。その最たるものがコンピュータの使い方に関する非常に多くの出版物であろう。極端なものになると,「…するには」を目次で調べてそのページを開くと,パソコン画面そのままの絵とともに「…をクリック」といった操作手順が並んでいる。それらを逐一追いかけることで目的が達せられるようになっていて,分厚い本全体がそのようなものの集りであることも珍しくない。そんな本は当然,そのものズバリが目次にあるときにしか役立たないので,これからパソコンの使い方を学ぼうとする初学者には,多少とっつき難くても原理や理屈からやさしく説明されているものを薦める。書店の棚を眺めてみると,残念なことに,入門書に分類されているそういった本のほとんどはどちらかといえば「ハウツーもの」である。この事実から想像できることは,原理や理屈を説明した本は敬遠されあまり売れないのでは,ということである。私の専門の物理でも,近頃,大学生を対象とした本にまでハウツー的なものが見受けられるようになり気になっている。論理性を軽視した,特定の問題にしか通用しない,類型パターンの適用のみによる問題解決手法が,目先の演習や試験の問題を解くためだけに広まるかもしれないからである。

上のような,「考えることを避ける」危うい傾向を私は「カーナビ症候群」と呼んでいる。ご存知のとおり,カーナビ(カー・ナビゲーション・システム)は非常に便利な道具であり,技術的にも映画007などで夢の機械として登場したものが現実になったすばらしい発明であると思う。見知らぬ土地でも画面や音声の指示に従えば渋滞を避けて確実に目的地に着くことができるので,使い始めると手放せなくなるのだが,カーナビには困った副作用がある。紙の地図を頼りに目的地を目指す場合には現在の自分の位置がわからなくなることがよくあって,そのようなときは方向感覚を頼りに大きな目標物を探してそれを地図で確認するのが常である。不思議なことに,迷いながらもそのようにして一度通った道はその雰囲気や地理感覚とともに記憶に残るものである。しかし,カーナビを使うと,細かな指示に気を奪われて方向感覚も失い,地理感覚がさっぱり頭に入らなくなってしまうのである。また,データベースに記録されていない場所ではカーナビが「ただの箱」になってしまうことは言うまでもない。

IT時代の近頃,特に若い学生諸君が学業において,そしてこれからの人生のドライブにおいて「カーナビ症候群」を患ってしまったら,と考えると恐ろしい未来が見えてしまう気がするのは私だけだろうか。なぜか,映画にもなった「はてしない物語(the neverending story)」を想い出す。

「カーナビ症候群」にかからない方法? ほら,自分で考える前にすぐにそんな質問をしていると…

2002.10  (「静大だより」第150号 より)

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